日本遺産 鞆の浦  

鞆の浦観光HP

鞆の浦のシンボル 常夜燈 安生六年(1859)

瀬戸内海の潮待ち港として太古から栄えた、鞆の浦。山陽新幹線で福山で下車してバスで30分。高木裕一郎さんの写真提供協力により、鞆の浦の街並みを、グラフィカルに撮影した写真をアーカイブしました。

桝屋清左衛門の家。 かつて坂本龍馬が身を隠した家であります。
桝屋清左衛門の家
桝屋清左衛門の家

鞆の浦の街を歩いてみて、まず目に飛び込んでくるのが「格子」です。
光や風を通す日本建築文化を浴びることができます。 Photo by 高木裕一郎

カラフル小物 彩華
NIPPONIA 鞆の浦 港町 TOMO PORT TOWN   素敵な宿です。
保命酒 八田保命酒舗
岡本亀太郎本店
幕末の儒学者、頼山陽氏が、日本外史を編纂した家。
仙酔庵  頼山陽氏も通い詰めたとされる茶屋。
対潮楼

鞆の浦は、江戸時代には北前船の寄港地としても栄え、朝鮮通信使も幕府の慶賀などのために度々寄港。

福禅寺が迎賓の場所として使われました。

福禅寺本堂隣の「対潮楼」は1690年頃に客殿として建てられたもので、賓客の宿舎として使われました。

座敷からは瀬戸内海の絶景が広がり、朝鮮通信使の従事官の李邦彦が「日東第一形勝」(対馬より東で一番美しい景い勝地という意)と賞賛しました。

昭和十三年建築の建物もあります。

万葉集の歌集に詠まれている頃から街並みの道などはまるで変わっておらず、狭い日本の道がそのまま残っている貴重な港町です。観光バスを通すために破壊して道を通すと言うような金儲け主義の発展は、保存運動により却下され、おかげで、千三百年あまり変わらない街のムードを守っています。破壊して交通が便利になったら日本遺産にもなっていなかったでしょう。基本的には、軽自動車しか通れない道が多いですが、一応、自家用車はギリギリ通過できます。今回は、デニム製作会社社長の高木裕一郎さんが、写真を提供してくださり、違った目線での鞆の浦が保存できたことを大変嬉しく思います。 text by 中野裕之                   

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