福山城 Fukuyama Castle
水野勝成が築城し最後の江戸幕府老中・阿部正弘まで280年ほど徳川譜代の備後福山藩の城でした。
1622年築城。天守閣内部は博物館です。

福山駅・新幹線ホームからの眺めです。城内を線路が貫通している状態です。1891年明治24年に線路が敷かれて開通しました。
福山は徳川幕府の天領ですから、明治維新政府は徳川幕府の敵方ですので、もしかしたら意地悪したのかもしれないなと思います。線路位置を200m〜500mずらすのは全然可能だからです。でもまあ、もっと内側じゃない(天守閣の真横とかね)だけ良かったとしますかね。西洋かぶれで権威主義の侍制度をことごとく忌み嫌ったのが明治維新政府ですから、武士の象徴である城が一番きらいだったのは間違いないでしょう。でも明治維新政府って、寺社仏閣も権威で威張っていたのもあって、神仏分離政策でたくさんの寺を壊しました。威張ってるものが大嫌いっていうのは、若い人たちですから理解できますけどね。そして戦争で多くがさらに焼けてしまいます。福山城も空襲(1945年)で焼けました。




昭和時代(1966)の再現城を、令和になって2022年築城400年を記念して築城時の再現を目指して建て替えをしました。美しくなったし、かっこいいなと思います。窓の形や、北側に鉄板張りをほどこすなど、以前の福山城とはかなりの別物です。以前のは何だったんだろうかと思いますね。



こちらが以前のお城です。↑ そして令和の福山城↓は黒一色で赤を排除しました。


北側の守備が甘いと判断した水野勝成氏は、戦において十代から一度も負けていない強者ゆえに、中国地方を従兄弟の徳川家康から任されて、京都伏見城から櫓などを移築して節約しつつ、強いお城を作りました。75歳の時に九州の島原の乱平定(1637−38)に行くなど、戦の経験者最年長として出向いたと歴史書にのっております。破天荒な水野氏でしたが、福山を豊かな城下町とするために、いぎさなどの物産を推奨し、最後は良将として認められたそうです。福山市民は、一度も福山に来ていない江戸在住だった老中・阿部正弘氏よりも水野勝成ファンが多いという印象があります。福山誠之館高校(藩校)出身者は、学校を作った阿部氏を敬愛しています。阿部氏は江戸幕府の最後の優秀な老中で、ペリーが黒船と一緒に来た時の交渉人トップでした。代々が老中になる家、阿部家が福山藩の藩主でした。阿部正弘公は、墨田区の桜餅の有名店の娘さんに一目惚れしたとかのエピソードがあり、一時期、福山映画の企画で2年ほど研究しました。阿部氏も、水野氏もすごい敬礼で面白かったんですが何せ、時代劇でものすごいということは予算がかかるので断念しましたが。
水野氏が刈谷岡崎の出身であったことで、一緒に街づくりをした多くの家臣が愛知県出身でしたので、それゆえに福山弁は、広島や倉敷岡山とは違う、岡崎弁に近い方言が福山弁なのだろうかと思います。

ツートーン白黒のお城は日本でもここだけでしょう。


東側から眺めです。


東側の中段もこのようになりました。

天守閣にあがりますと展望が良いのです。これは南側の景色です。



南側です



西側です。

東側展望です。



鐘櫓 火灯櫓跡(かとうやぐらあと)

伏見城の櫓です。









湯殿

阿部正弘 像


水野勝成 像




伏見櫓です。
夜景も美しいです



毎年6月から8月には夜店があって、駅前も賑わいます。

備後福山は、西に尾道、東に倉敷という観光地があり、南に鞆の浦という観光地があります。ポニョのロケ地ですね。





日本遺産 鞆の浦

阿伏兎観音(あぶとかんのん)

一度いらっしゃってくださいませ。